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「英語」が私たちを救うことになるその意味

皆さまこんにちは!ENC/GNAスタッフです。
『ENC/GNAからの手紙』は、英語を学ぶ学生達やご両親にむけて、英語を学ぶことの意味を問いかけようと、先日試験的に公開したところ、思った以上の反響があり、このたびシリーズとして不定期で続けて行こうとなりました。

ということで、今後このコラムを執筆していただく筆者を紹介いたします。

コラムニスト:白川小夏
新聞・雑誌等で、主に文学や芸術関連の解説、コラムを執筆。
このコラムでは、言葉の問題、日本語と英語の問題、英語を学ぶとはどういうことかといった、ちょっと深いお話を書いていただきます。

言葉のプロである白川さんの文章を楽しみながら、英語を学ぶことについて考えていただけると幸いです。


前回のコラムでは「読解力」について少し触れました。英語学習にも言えることを、語学力の根本的な要素として述べたつもりです。
私たち人間は言葉などのコミュニケーションを通して様々な人に出逢い、『偶然の成長』によって人生を形成していきます。 若い学生さんや親御さんの世代、社会人の方々にも、分かりやすくお伝えするこのコラム記事もシリーズ化となりましたが、今回はこの【日本語の読解力と英語】について更に考えを進めていきたいと思います。

わたくし筆者の場合ですが、最初に浮かび、直感的に思った言葉を採用することが多いです。後からどれだけ言葉を練っても、結局は最初の正直な考えを上回ることがほとんど出来ないからです。後はただ、正直に思い浮かべた感覚を「できるだけ噓が混じっていないか詰める作業」をします。

ところが、公の立場になればなる程、自分の思ったことを口には出来なくなります。周りの人たちの誤解に備える言葉の能力を問われるからです。または、公の立場でなくとも、子供たちの小さなコミュニティでさえも、正直な考えを表に出すことは、色々とややこしい事象があるでしょう。どんなに小さい社会性であっても、言葉による人間関係は難しいです。広くあらゆる人たちに向ける言葉には、潜在的な配慮が必要だからです。

ただし、今回のコラムでは、そんな《「よそ行き」の言葉や文章力》を一旦、片隅に置いておきまして、【正直で素直な人間力=言葉の力】について取り上げます。 英語を学ぶ皆さんだけでなく、人の社会に直接的に関係していることであり、英語を真に操るには、どうしても乗り越えなければならない大切なことです。

会話こそが想像力であり、まさに「創造する力」に繋がる

私は「言葉や文章」とは、大まかにですが、二種類あると考えています。

  1. 『自分が体験した〈生の考え〉をもとにした言葉』と、
  2.  それ以外です。

なにも、実際の冒険者の体験談が正しい、というお話ではありませんよ!
例えば読書で、冒険物語に没頭して得たものは『生の感覚』であり、沢山の「直感と思い」が浮かんできますね。これは書き手が私たちに伝達するインスピレーションによって、読者が偶然に出逢う世界観です。絵本を読んで広がる暖かい気持ちや、映画を観て思いがけなく心が動いた、という時に起こりやすい感覚ですね。生の感覚とか考えを言葉にする時、私たちは正直で素直な言葉の力を使っています。

(1)の「自分の生の言葉」というのは、自分自身の考え方や感覚を言葉で表すことですよね。 (2)の「それ以外」は、深く実感したわけでなくとも周りから受けた考えを、言葉にしてみた、という試みも含むかと思います。仲間で共有する伝達事項なども (2) に入りますし、これを体感的にとらえて自分の言葉で考えたのならば (1) にだって入るでしょう。

要はここでは、(1)と(2)が良いか悪いかを考察しているのではなく、いかにして「借り物ではない自らの言葉で考えるか」について取り上げるために、手荒いですが二つに分けました。
今、皆さんの想像力は、ギアを上げていますか?皆さんも、どうぞ自由な発想で、私と会話をしているかのように読み進めてみてください。今あなたと私の想像が、新しい創造力となるように、言葉を使って繋がってみましょう。
ここから私たちは、言葉を使った旅の仲間です。

人間が最も大切にしてきた物とは、なんだろう

自分の思いを、人にどうやって伝えるか。
人は会話を通じて、言葉を自由に操る唯一の生物です。幼少から培われたコミュニケーション法の中心はあらゆる国の言語であり、言葉を使った会話でした。頭の中で考えている物事を、言葉で表現するのは、いわば私たち人間の得意分野であることは、前回のコラムでお話しました。
今日は更に先に進んで、現代人の対話についてです。

ある時期から現在の日本では「読解力」の低下が大きな社会問題となっていて、これが大人も子供も同じく、著しく低下の一途をたどっています。一体どうして、このような事になってしまったのか。かつての日本人の文章能力全般を取り戻すべく、各方面が色んなアプローチによる研究でこの危機に立ち向かっています。

学校のテストの質問が理解できず、大学生は論文が書けず、大人は仕事の指示書が理解できない、いやそれならまだしも、質問内容の日本語そのものがおかしいなど、いづれかの場面を身近で見たり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。理解できないこと自体は、何ら恥ずかしいことでもないのです。そもそも言葉の感じ方は人それぞれですから、質問の意味を万人が同じく把握するのは難しいことかもしれません。

読解力とは、たくさん勉強し読書してきた人が手に出来る能力かというと、どうもこれが違うようなのです。最新の研究では「読書では《純粋な読解力を身につけること》は、ほぼ出来ない」という結果が出ています。これは恐るべき結果で、今後も引き続き検証を重ねていくことでしょうが、「読解力は、元々生まれ持ったものであり、読書によって形成されるものでもない」というのです。わたくし筆者の世代では、読書が読解力を深める一番の早道だと教わりました。なんと、今更こんな検証を突きつけられても……。

しかし皆さん、落ち込まないでください……。日本語の読解力でつまづいてしまっては、英語までたどり着けないじゃないか!と思われる皆さん、これはほんの一例でして、今から救いようのあるお話をご紹介します。
私たち人間が言葉・言語を操ることが出来るようになった進化の理由が垣間見られる興味深い検証へと続きます。いよいよ、我々の最も大切にしてきた力【生きた会話力】についてです。

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