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日本語の美しさは、所作の美しさ

こんにちは、ENC/GNAスタッフです!
久しぶりに、英語を学ぶことについて深く考えてみるコラムです。

今回は、文化的な背景から「日本語とは」、そして「英語を学ぶこと」について考えてみましょう。

筆者:コラムニスト 白川小夏
新聞・雑誌等で、主に文学や芸術関連の解説、コラムを執筆。
このコラムでは、言葉の問題、日本語と英語の問題、英語を学ぶとはどういうことかといった、ちょっと深いお話を書いていただきます。


日本在住の外国人でも、日本語を話せない人は大勢います。筆者の親戚にも国際結婚をしている女性がいますが、彼女の夫は10年以上日本に住んでいても、カタコトの日本語もままならない会話力です。日本で英語を使って暮らしている人たちのコミュニティで生活しているため、日本語を話せなくても、なんとかなります。パートナーが日本人なら、暮らしていけるからです。

日本で英語を使った生活をしていて、なおかつ日本語が話せない人から、「日本語は滑らかな音楽のようで美しい。日本語の流れるように連なった響きに惹かれる」と言われることがあります

しかし《日本語は一番、音が速い言語》です。
つまり、日本人は喋るのがとても速いのです。
外国人にとっての日本語会話は難関中の難関で、これが日本人にはあまり知られていない点でしょう。日本の人は「自分たちの会話速度が、世界の中で最も速い」とは、夢にも思っていないのです。

外国人にとって日本語の音の速さが最も難しい点であって、その後にやってくる文法の複雑さや、語彙の豊富さなどは、むしろずっと先のことです。つまり、日本語をヒアリングすることは至難の業なのです。
日本人の立場からすれば、英語やフランス語、中国語や韓国語、フィリピンの言葉などは、恐ろしく速く聞こえると思います。頑張っても、とても聞き取れない。意味の解らない、知らない言語というのは、すごく速く聞こえるからです。

こちらは言語・言葉について、様々な角度から考察するコラムシリーズです。言語学は間口が広いテーマですが、言葉の持つ力と、会話をしていくことの重要性について、今回も一緒に考えていきましょう。

日本語を使った英語の授業には、もうあまり意味がない

ドイツの人に、英語がお上手ですね、なぜですか?と聞くと「ドイツは中学から英語を学ぶ。英語だけで、授業を行うからだ」と言います。
そういえば、筆者の世代では、中高生で通算6年も英語の授業を受けているのに、その時点で流暢に英語を操る生徒は、周りにはいませんでした。
今では〈英語の授業を、日本語で行う〉ことは間違いだと、ほとんどの日本人が気づいています。

〈日本語を使った英語の授業〉に、一体なんの意味があるのか…。日本は、この古い習慣からなかなか抜け出せずにきました。英会話を幼いうちから始め、子供たちがもっと楽しくラクに英語を学ばなければ、いつまで経っても習得することはできません。国レベルで、子供たち全員が自然な英語を話せるようにしないといけません。

英語と日本語は、言語上なにかと構成が反対なので、両者がこれを学ぶのは大変難しいことです。日本人は、性質が反対の言語を、先に文法中心で学んできたため、どうしても日本語的な発想しか浮かばないし、何年学んでも会話が出来ないのです。

文法が反対の英語ですから、日本人はドイツ人のように中学生から英語を学ぶのでは遅い、ということになります。
なんといっても、ドイツ語と英語には相互性があるのですから、彼らが中学から英語を始めても遅くはないし、いきなり中学から英語オンリーの授業を始めても、ドイツの生徒たちは問題なく勉強についていけますよね。

筆者の学生時代は〈日本人は英語が出来ない〉と欧米の人たちから言われていました。当時は「じゃあ、そちらこそ日本語を喋ってみなさいよ」と思う日本人は大勢いたと思います。
ようやく日本の制度では、義務教育の小学生から英会話の授業を始めるようになりました。

スイスの人たちは、隣国の言語と合わせて、最低でも3か国語を操ることが可能です。それぞれの文法が似ているので、そんなに大変なことではないのです。日本人にとっては、羨ましい限りですよね。

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