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心の余裕が大事 まずは英検に特化してみる

ENC/GNAからの手紙03:心の余裕が大事 まずは英検に特化してみる

こんにちは、ENC/GNAスタッフです!
そろそろまた英検の試験の時期がやってきます。直前で焦って試験対策されている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
でもそんな時だからこそ、こちらのコラムで英語を勉強する意味、その中でも英検に挑む意味について、今一度考えてみましょう。

筆者:コラムニスト 白川小夏
新聞・雑誌等で、主に文学や芸術関連の解説、コラムを執筆。
このコラムでは、言葉の問題、日本語と英語の問題、英語を学ぶとはどういうことかといった、ちょっと深いお話を書いていただきます。


このコラムがスタートしたのは、ENC/GNA受講者でいらっしゃる高居玲奈さんが高校生になられてロングインタビューを行い、その皮切りに連載コラムとして取り組むことになったわけですが、高校生の高居玲奈さんの等身大の長い長いインタビューへの反響が大きく、ブログを読まれる皆さんの必要とされている内容を痛感したのがきっかけです。

幼少から楽しんで英会話レッスンを受講し、中学受験で一旦レッスンから離れたため、後の中学の授業では英単語の「抜け」が多くて苦労されたお話などが出ました。
英語の楽しさを取り戻すべく、英会話レッスンを再開、という流れになったそうです。「生のレッスンの必要性を感じた」とのことでした。

中2で英検1級に合格された高居玲奈さんであっても、中学からの英語の授業は《楽しい》とはいかなかったようで、小さい頃は楽しかった英語学習が、いつの間にか楽しくなくなっていた、という本音にも触れられました。これに共感された読者の方が多かったようです。

学校の英語授業が楽しくなってくるのは、理解できる量が増えたり、授業についていける間です。

ENC/GNAでずっと英会話レッスンを受けられ、ついに16歳でIELTS7.5を突破した玲奈さんへのロングインタビュー。白川さんがインタビューし、記事を書きました。

英語学習はいつ始めるべき?

「英語学習は早い段階から始めた方がよい」との意見は、一昔前には賛否両論ありました。
一般的に多くの意見は「英語は早い段階で!」と前向き派。なぜなら親御さんご自身が受験英語に苦労されたからです。

ところが、帰国子女の子供さんをお持ちの親御さんには、一部意見が逆の考えもありました。
英語学習とは、まずはしっかりした日本語力が出来上がってからが良いのでは?とする意見です。帰国後、日本の学校に通って《子供が日本語の遅れに苦労した》との経験からなんです。結果的に、英語も日本語も、中途半端になった、と。

では、現在の考え方はどうでしょう。実はこれに関する膨大な実証データはまだ無いのですが、結果から言いますとケースバイケースです。

幼少期をどの国で過ごしたか、滞在年数、身近な環境だけでなく、子供の性格や順応性、兄弟姉妹の有無や、たまたま取り巻く人間関係、いじめ問題等々、様々な事情をカテゴリー別にするのはかなり困難です。これらをデータ化したとしても、あまり参考にはならないかもしれません。

帰国後の、帰国子女の日本語力の遅れは、その後自然に解消していったという話をよく耳にします。確かに帰国当時は、日本語に大変苦労されたのではないかな、とは思いますが。

何が要らない勉強なのかは最後までわからない

何が要らない勉強なのかは、後にならなければわからない
辛かっただけの勉強も、振り返ってみれば自分の力になったり役立ったりしていることもあり、何が要らない勉強なのかは、後になってみないとわからない。

ただし、長い目で見て「何が要らない勉強か」は最後まで分からないのです。必要のない勉強って、あるのかどうか分かりませんが、要は本人の興味のない事とか将来生かされそうにない勉強、という意味になるんでしょうかね。はい、分かる気がします。

子供には早めに将来の夢に向かって一直線に進んでほしい、という親心も理解できます。

でも、将来の夢は途中で路線変更もしますし、大人になってから転職することもあります。早いうちから自覚して希望の職に就く人は、そう多くはないんじゃないかと思います。

「自分は経理の仕事がしたい!」とか、「看護師になりたい!」みたいな夢を持つ友達を羨ましく思っていた子供時代の筆者は、なんにも身近な夢はありませんでした。
どうやって仕事に就いたかと言えば、パンプスやハイヒールを履かずに済む仕事を選んだ、という結果です。 英語は少なからず必要な職種でしたが、できなくてもあまり問題なし。

本腰を入れて英語を勉強したのは二十歳を過ぎた頃からです。
日本語に翻訳されていない自分の好きな分野の本を読みたいのが一番の理由でした。名著なのに、待てど暮らせど日本語訳が出版されず、しびれを切らして仕事もこなしながら通訳の勉強という無謀な手に出ました。
学生時代、わりと得意だった英語を甘く見積もっていたんだなあ…。長い勉強人生ですが、結果英語がキライになりました。やみくもに深掘りし過ぎたんですね。言語学は奥が深いです。

その代わりと言ってはなんですが、この言語学としての古英語・英語学の下積みには、大変な恩恵がありました。

筆者は後に何度か転職をしましたが、求めたわけではないのに、英語は遠からず自分について回りました。
ひょんなことから元上司に翻訳の下訳(したやく)を頼まれ、自分の仕事をしつつ、二足のワラジを履くことに。おそらく私が英検を取得していたのを元上司が覚えていてくれたんですね。
後に他から、本格的に翻訳の声がかかり、十年ほど務めました。
本職も翻訳もとてもハードでしたが、人生の修業時代そのものだったと思います。

英検は学校で受けさせられるものだったから、受けた

日本英語検定協会が実施している、実用英語技能検定(英検)
筆者の学生時代はごく普通の高校で、高校1年生の時に、学校から一斉に受験させられました。
高校生ですから、2級と、いきなり1級を受けるんです。級は自分で決めろ!と言われました。なんと、まだ準1級なんて無かった時代です!後になって準1級のランクが設けられました。古い時代の話ですね…。

私の現在があるのは、先生方の絶対的な強制のお陰…いや、色々な勉強を勧めてくれ、人間関係を教えてくださったお陰なんですが、それがなければ自分で自ら英検を受けようなどとは思わなかったと、確信しています。
将来の夢というものを、早いうちに自覚できる子供ばかりじゃありません。何に興味があるのかさえ、自分でも分からない子供の方が多いです。
結果、将来の仕事に直接的に関わらなくとも、なにかしらのきっかけになったり、人と知り合ったりと、世界は広がるのではないかとも感じます。

「役に立つ」という言葉は実益に繋がる事だけではなく、未知の部分もあり、「役」(やく・えき=つとめ、つかう)とは、捨てたものではない、という意味があります。
筆者はこの、《捨てたもんじゃない》という言葉と精神がとても好きです。少しは報われる気持ちがするからです。

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